葉鍵と東方は演歌とJ-POPぐらい違うんじゃね?っていうお話

さて、僕自身はそのひねくれた生来の気質から葉鍵が流行ってる時にオリジナルを追ってて、オリジナル歌姫系が流行った頃に東方に手を出して、東方が流行った頃にそこから離れていったという、微妙に一歩先を行っていたような気がするので(「同人音楽を聴こう!」の系譜によれば)、そもそもの流行っている内部で何が起こっていたのかをあんまりよく分かっていないです。葉鍵時代にはこういう特徴があった!とははっきりと言えないし経験も持っていないので、以降はブラフです。


ただ、決定的にそれ(「東方」)以降で何かが変わったなという感覚を持っています。
それがなんなのかもまだはっきりと分かっていないし、その理由もまだ分かっていません。
まだアイデアというか、思いつきを書き並べたり、他の人の意見(ポピュラー音楽に対しての言説を主に)を参考にさせてもらっていたりする段階で、まだ何もまとまった考えを持てていませんが。


そんなわけで技術的なもの、作り手側の話、受け手側の話、youtubeニコニコ動画なんかのCGM関連の話等々色々書きためてはいるのですが、まだまとめてないので、今それを書くと膨大な量になりそうだから誤解を承知でそれを全てはしょります。


で、タイトルに書いた葉鍵と東方は演歌とJ-POPぐらい違うって話なんですが、おおよそそのまま文字通りの意味です。どう考えても風呂敷広げすぎですが。
詳しい話は「M2のJ−POP批評2006〜やっぱりJーPOPは終わってしまったのか?」をお聞きくださればそれで全て終了です。
最後の方のクリシェの話の部分を聞けば僕の言いたいことはだいたい分かると思うし、それ以外でもかなりたくさんの点で着想が得られると思います。
まだこの一つしか聞けてないですし、他のものなども全て聞いてから書いた方がいいのですが取り急ぎ。


聞くのめんどくせー時間ねーって言われると思うので、もすこし。
ポピュラー音楽で起こっている流れというのは、かなりの点で同人音楽にも当てはめることが可能なんだと考えます。
そして特に東方以降それが顕著になったんだなと。僕が感じた「変わった」という感覚や、もう同人音楽を楽しいと思えなくなった所はそこにあったんだと思います。
「東方以降同人音楽はいわゆるJ-POPと決定的に一緒になった」といったのはそれを受けてのことです。決定的とまでは言い過ぎですが、「変わった」という気持ちを込めて。


同じじゃない部分、同じな部分、そのあたりを今書き並べている段階です。その辺は長く散漫になるのではしょりますが。
詳しい話は上のネットラジオを聞いていただくとして、それをどう葉鍵と東方に当てはめるのか。


葉鍵時代というのは作り手、受け手双方に「葉鍵作品」という共通前提があって二次創作が行われていたんじゃないかと思います。
鳥の詩なら鳥の詩におけるメロディーという「クリシェ」を使って二次創作が行われていた。受け手側もその前提を持って作品を消費し、その「クリシェ」から元作品(AIRに漂う夏の空気など)を想起する。
クリシェ」は作り手にとっては自らの創作におけるメタファーとして、受け手にとってはその前提を元として作り手の表現を受け取るメタファー、契機として。
だからこそ、そこでは原曲破壊アレンジというやり方がまた生きてきた。
(アレンジ元となる曲自体がその強度を持っていたことも理由の一つといえるか)


それが東方以降においては、特に東方アレンジにおいては東方作品の原作、原曲は意識されない場合が目立つようになる。
東方よく知らないけど、べつに好きじゃないけど、売れるから出す。東方やったことないけど、原曲あんまり聞いたことないけどアレンジはかっこいいのが多いので聞く。はっきりとした形ではなくても似たような発言を多く耳にしたことがあると思います。
そこでは東方作品の原曲のフレーズ、「クリシェ」は東方らしさを演出するもの、もしくは東方アレンジですよというアピールでしかなく、そこにメタファーはない。つまりそのアレンジにおける原曲の立ち位置が不明瞭な作品が目立つようになる。
受け手側も聞きやすい、BGM的な(ニコニコにおける作業用BGMとかね)、かっこいい、というありきたりな形容詞(これもまた「クリシェ」ではあるのだが)を伴って消費する。そこに原作に対する想起は行われないし、メタファーとしても機能しない。
(ZUN氏の曲がそれだけの強度を持った曲としてではない制作スタイルであることも原因か、でもZUN氏は自らの曲についてコメントを残している、そこに強度が存在する余地はあるはず)


んーとまぁそんなとこで。
というかメモ帳にはこのあとに「その理由は」まで書いてあと書いてない。
超尻すぼみだけど。
Wikipediaの音系同人がちょっと問題だった頃に「クリシェだろ常識的に考えて」みたいな文章を以前書いたけど、それが今ここでやっとつながったんで個人的にはこの時点で満足ですけどね。


他にも「なぜ同人で音楽なのかという視点」とか「認められること、クリプトンの伊藤社長の発言を元に(ここねJASRACモデルの限界を超えて――「初音ミク」という“創作の実験”)」とか、「同人音楽における表現とアレンジの狭間」とか「オリジナルの初音ミクとアレンジの東方の受容の差異」とか「同人音楽におけるビジネスチャンス、個人レベルでの(ポピュラー音楽と本主義より)」とか「デジタル化が音楽制作者にもたらしたもの」等々メモだけならいっぱい残ってるけど、それをまとめつつ全部書くと多分1万字は軽く越えると思う上に、書き上げるのに3ヶ月はかかるので全てはしょります。


僕自身、二次創作には全く関わったことがないので、ここに書いたことは全くの妄想ですが、まぁあながちという点では面白いかなと。
そんな、わけです。
おしまい。