「ユリイカ12月臨時増刊号 総特集初音ミク」座談会の個人的感想

まえがき

追記:小見出し記法なんてあったのか!ってことに今頃気づいた。って訳でそのあたり修正します。はてなスターは消してしまうことになります。申し訳ない
そんなわけで先日書き散らかしたやつのまとめ。今読み返せばめちゃくちゃやな。


つっこんでる脚注読めば分かると思うけど、僕の立場としては

  1. 初音ミクを使っただけの曲は「初音ミクの枠」に囚われてしまい、面白くない物が多いので嫌い
  2. 同じく先の同人音楽族の歴史にならえば、「地方特産」ブランドにはほぼ興味がない
  3. 整った形なんて気にしない、志向は味のみ、それも「ふんわりまろやかで舌触りのいい」なんていらなくて、ガツンとくるような強烈な味
  4. その強烈な個性を生産できるところに同人音楽の可能性を見ている

そのつもりでこれから先を話していきます。*1
なので、市場としての同人音楽の可能性なんて期待していないどころか、害悪だとすら考えています。嫌儲野郎だと思ってくださってかまいません。それは否めません。
ただ、「儲けてるやつむかつく」ではなく、「儲けを意識しただけで大して面白くない物が売れるのがむかつく」のです。*2
「本当に面白い物が多くの人に認められて、売れている」のはとても喜ばしいものでもっと売れればいいと思います。*3


ちょっとこれ奇抜すぎてメジャーシーンじゃ無理だよなぁって思えるけれども、面白い楽曲が生産されること。そしてそんな奇抜だけれど面白い曲がしっかりと評価されること。
この2点が実現している世界が、僕にとっての同人音楽の理想です。けれどもそれが難しいことも分かっています。*4と同時に、同人音楽を語る方向がそれとは逆の方向に動いていることも。
後者はどちらかと言えばおまけです。前者の「奇抜な作品を発表できる場」これこそが同人音楽の最も面白い部分だと僕は思っています。*5


例えばどんなものか。BMSで一時代を築いたparaoka氏によるこれです。

youtubeはこちら:http://jp.youtube.com/watch?v=WCIKxatCRzM&fmt=18
どうかんがえてもあたまくるってるやんこれ
これの面白さを語ると色々書けるんだけど*6、それはまぁ置いておいて、奇抜すぎてメジャーとか絶対無理やろ?けどおもろいやろ?ニッチやろ?*7とりあえず二分以降が神がかってる。シャウトしたときは鼻からすっぱムーチョ吹きだしてむせたわ。
極端な例でしたけれども、このありえねーという面白さ、これこそが同人の面白さであり、ニコニコ動画がその初期においてあそこまで賑わったことの大きな一因じゃなかったろうか。
けれども、無理な人はこれ無理でしょ。面白い以前にキモって思って受け付けないかも知れない。それは人それぞれの好みだから仕方ない、奇抜な物は多くの人には受けづらい。それが売れることは望めないと言うのも分かってます。だからこの面白さを追求する以上は売れない。初期のニコニコ動画にあったように奇抜だけど受けるっていうのも確かにある。*8それよりも受けなくてもいいからとにかく奇抜なことしている人を僕は応援したい。
売れようと思えばこの面白さとは逆の方向の、ブランドのある、舌触りのいい、万人受けする音楽となる。そして、今の同人音楽はそっちに行こうとしてるように思う。*9
ま、そんな作る側の苦労なんてそっちのけで、完全に消費する側で、うざいオタクってのが僕な訳ですよ。そんな奴がなんか好き勝手話してると思って読んでください。


あとそうそう、個人的には「初音ミク」及びヴォーカロイド関連を、同人音楽の文脈で捉えようとするのはあまりに無理があると思います。初音ミクを取り巻くものはもっと肥大化しており、複雑です。僕の感覚としては「初音ミク」が無理矢理同人音楽に食い込んできたというイメージでいます。
ブログなんかで、初音ミクの話題と同人音楽の話題で比べれば需要があるのは明らかに前者。と同時に、初音ミクを語る際に同人音楽との関連を意識する必要はない場合が多い。
ニコニコ動画初音ミク曲を作っている人は同人音楽と関係なかった人達が多い。発表の場も同人音楽は即売会であるのに、初音ミク曲はニコニコ動画ピアプロ、zoomeなどのインターネットで発表される。*10
無視できない違いがそこにある。けれども、オタク向け音楽として同人音楽というジャンルがあるらしくて、曲調も似てるし同じオタクに向けた音楽だから「初音ミク」も同人音楽に入れていいんじゃね?といった意識があるのか初音ミク同人音楽に押し込まれている。
その流れの中で「同人音楽」に注目が集まってしまい、そのイメージが一人歩きしているように思う。そしてそれがこの座談会に現れてきている。それは今まで、同人音楽とは何かをしっかりとアピールしてこなかったことにもあるし、出来る人がいなかったこともあるだろう*11。仕方ないなと思える部分でもあるけれど。


んで、座談会の話に移る前に同人音楽について簡単に整理しましょうか。「定義」なんて大仰なことするつもりはないんで。
同人音楽と言ってもその指す範囲は非常広いから、一口に「同人音楽」と言ってもその話者が想定しているものには人によってかなりの揺らぎがある。例えば同人音楽と似た意味で使われる語に「音系同人」がある。この二語もきっちりと区分されないまま使われていたりする。
それぞれの語が指すものをしっかりと意識しておかないと、今後の同人音楽談義は混乱する一方だろう*12
Wikipediaの音系同人の項を参照してもらうとその分類が載っている。
つまり音系同人は同人音楽を含み、さらにボイスドラマや映像作品など音に関わる作品群も含む。同人音楽には音響作品、つまり音楽のみが主体となる作品と楽譜が含まれている。
この分類を発表した人物が本当にその意図を持って発表したのかどうかには謎が残るが、Wikipediaにこの分類を登録した人はそう想定して発表を聞いたのだろうし、冬コミでプレ版が頒布される予定の「同人音楽ブック」(多分こんな名前、自信なし*13)でもそういう分類で語られる予定だそうで、音系同人の分類を意識する人にとっては主にそう認識されているようだ。Wikipediaって信用できねーよという部分もあるが、とりあえずこれには同意しておくとする*14
さらにWikipediaの同人音楽の項には同人音楽の分類として、アレンジ、オリジナル、イメージ作品の三つと、補足として同人ゲームでの楽曲が挙げられている。*15
しかし、この分類がやっかいなもので、おそらく同人音楽を幅広く聴く人にとっては首肯できると思うが「アレンジ系統の同人音楽」と「オリジナル系統の同人音楽」では趣がかなり違う。趣なんて抽象的な言葉を使うけど、いちいち説明してる暇はないので割愛。*16
なんにせよ「アレンジ」と「オリジナル」の人達はおおよそ全く別々のことをしている。そして注目されるのは圧倒的に前者の行動について。
おそらくネットなんかで見かける「同人音楽が〜」みたいな文章や、この座談会で「同人音楽」として主に想定されているのは「アレンジ系統の同人音楽」のことだろう。+初音ミク。要するに二次創作として楽曲制作が行われる同人音楽
けれどもテクノウチ氏は「オリジナル系統の同人音楽」も若干含む形で使用しているように見受けられる。*17意識しているかどうかは知らないが。テクノウチ氏にとっての同人音楽の(というよりオタクに染められつつあるクラブミュージックの)未来の可能性はJ-COREにあると信じているのだろう。
一方東氏は明らかに同人音楽を(初音ミク作品はちょっと違うけど)二次創作による元ネタ消費音楽としてしか見ていない。だからこその「同人音楽は巨大な焼畑農業」発言だろう。正確には、*18パブリシティを利用してニコニコ動画などでウケる音楽こそが今の同人音楽の本質だと考えているのだろう。そんな同人音楽の先にある未来を気にしており*19、それ以外の同人音楽は一切目に付かないし認識しない。
今後僕が使う「同人音楽」という言葉はこの座談会に倣い、「アレンジ」といった意味合いです。また、初音ミクに関しては先にも言った通り別の文脈として扱います。


さてさて、座談会について。
とりあえず座談会全体の流れを主観ではありますが簡単にまとめましょうか。


まず、テクノウチ氏と濱野氏が同人音楽からニコニコ動画への流れについて彼らなりの解釈で説明、クラブで起こっていることについても言及する。
伊藤氏が初音ミクのキャラの奇妙さについて問題提起し、谷口氏が図像によるキャラ付けには何ら新しさを感じないので、それよりも音楽的に「声」のアプローチの変化に注目する。
東氏がやっぱりキャラ化とニコニコ動画初音ミクブームなんだよーと。
それより、この同人音楽の盛り上がりの先には何があるのか知りたいと東氏がテクノウチ氏に詰め寄る。
クラブではJ-COREという形で新しい可能性がありますよとテクノウチ氏が言うも、東氏が期待するのものと違ったらしく、流行に頼るだけが同人音楽なのねと受け取る。
じゃあ同人音楽って流行に合わせてせっせと曲作る焼畑農業なんだね。今その流行がでかいんだね。と認識。
ここで谷口氏が話を「声」に戻す。
新しいものを使って実験的なことしても売れないからやらないんですよねー生活かかってる人いるし、とテクノウチ氏。
動画表現の複雑さの表現がまだ固まってないから、ここに爆発的な成長が見込めると伊藤氏。
終わりの方は話が散漫になってきて、というより、テクノウチ氏と谷口氏の会話がかみ合ってない。
とりあえず声に関する新たな技術がでれば、音楽はもっと変化するかもねって感じの会話。
天才が出てくるのを待ちましょうと伊藤氏によるオチ。

本編

それでは脚注として書いたツッコミに補足していく感じで話を進めていきます。
全体を通した脚注番号と表記してから補足していきます。

その1

・3
これがおかしいのは説明するまでもないね。同人創作の人達はそれぞれ自由に創作活動してるし、東方ブームが来たときも無視して別のことやってる同人音楽家なんて一杯いた。創作家が流れ込んだだけでなく、新しく同人音楽活動する人達が東方に飛びついた部分の方が大きいんじゃないのかな。揚げ足取りみたいなこと言ってるのも分かるけど、東方だけが同人音楽だったと思うなよ!ってこと。
・4
全体的にテクノウチ氏が話を牽引しているからか『ビートマニア』を同人音楽の中で重要な位置づけにしているみたいだけど、同人音楽全体においてBMS文化が影響してるのってほんの一部じゃない?そもそもBMS界隈ってのはわりとインターネット界でも閉鎖している文化だったはず。たしかにBMSAなんかで大きな盛り上がりは見せたりした。けれどもBMS自体は好きな人の好きな人による好きな人のためのBMSだったじゃん。BMSの人達ってわりとインターネットに閉じこもって、即売会にはあまり好意的ではなかったように思う。あの辺疎かったので主観だけど。
BMSには差分ファイルみたいな活動が見られたけど、オタク的な二次創作の感覚とは離れてる。BMSが今のニコニコ動画における二次創作文化に影響を与えたというのはあまりに過大評価しすぎじゃなかろうか。だから濱野氏が(BMSですらない)『ビートマニア』にニコニコ動画の「N次創作」の源流があると言ったのに違和感を感じた。正確にはBMSAがニコニコ動画へつながった。
同人音楽電子音楽系の曲を作る人達にビートマニアの影響があるのは明らか。オリジナル系の同人音楽では電子音楽系が主流。けれども、二次創作をするアレンジ系の同人音楽では電子音楽系って少ない方じゃなかった?葉鍵アレンジで電子音楽ってあんまり無いような。東方で逆転して多くなったけど。あ、単に僕が時代について行けてないだけですね。すみません。
・5
初音ミクには絵しかなくて設定がなかったのは当然だから置いといて、東方は設定豊富よね。それは東方のインストールフォルダ開いたら「設定.txt」とかいった名前のファイルに事細かに書かれている。
キャラにまつわる設定や過去、世界観などなどが詳しく記述されている。これを読めば「豊富な設定はもっていなかった」なんて言えるわけがない。ただ、それがゲーム中ではほとんど語られない。
一方で、性格といったキャラ付けに関わる要素はあまりない。ゲーム中ではちょっと会話するだけ。中国の本名を神主が忘れたりとキャラ自体はずさんな扱いされたりすることから分かる。
だから設定.txtを読まずにゲームしかしなかったら、東方はほとんど設定がないように見える。
ただ、その設定の解釈はかなり自由にまかされている。そこが東方二次創作の盛り上がりの理由の一つ。濱野氏もそのつもりで言ったのだろうけど、設定無いとは言っちゃダメ。
・6
「東方やったこと無いけど」周りが盛り上がってるから、その盛り上がりと会話を共有したいから自分も二次創作を消費する。って流れがあることは否めないでしょ。中身の方は二の次。
コミュニケーションの参加証としてのCDって話とはちょっと違う話だけれども。まぁ長くなりそうなのでいいや。

その2

・12
これはまぁ文字通りの意味なんだけど。個人的な感覚なので説明する必要はないんだけれど、ただ初音ミクを使っただけでしかない普通のポップスなんてなーんも面白くないし興味もない。僕自身がヴォーカロイドの声自体が大して好きじゃないからなんだけど。好きな人にとってはそれだけでいいんだろうけれども、僕はそうじゃないのでそんなこだわりがある。
初音ミクにメロディーを歌わせる、つまり楽曲の一番重要な部分がそのことによって固定されてしまう。そのことに気づけていないんじゃないかなぁ。逆にその限界を超えてやろうって音楽が僕は聴きたい。ミクトロニカやれってわけでも、人力ボーカロイドのような自由な方に行けってわけでもなくね。
単なる個人の好き嫌いの問題なんでどうでもいいけど。ヴォーカロイドの声自体が好きな人からしたら、そんな変なことされたらいやだろうし。
・13
これに関しては、現在進行形のことで曖昧な部分も多く語ることは控えたいと思うけど、beentocanaan氏のエントリをまず見てもらえたら
カナンを夢見ながら-何故初音ミクよりも作者に注目が集まるようになったか。
その考察に同意できない部分もあるけれども*20、とまれ最後の段落を。

初音ミクの歌唱はサウンドに埋没し、目立たなくなり、楽曲の背景にある所与の環境であると、視聴者が感じる傾向が助長された。そして、楽曲を聴くときに、視聴者は楽曲を成り立たせる環境に過ぎない初音ミクよりも、楽曲を実際に作った主体である作者に注目するようになったのではないか

さすがにまだそこまでは…と思いますが、つまり、それまで初音ミクの楽曲の人気の理由は「初音ミクというキャラ」によって起こっていると認識とされてきましたが、作曲者である「P」によって起こっている事態が見え始めた。そこにはキャラとしての消費の色合いは薄いのではないか。
確かに「P」の名前は視聴者によって名付けられる。そこにキャラ付けと同じ要素を見ることが出来るかも知れない。けれども「踊ってみた」「歌ってみた」と違い、作曲者である「P」の動画では初音ミクが前面に出ることもあり、「P」自身には図像の力は働かず「P」のキャラ性は薄い。つまり、視聴者によって名付けられるのは、流儀に則っただけと捉えるべきで、そこにキャラ付けの要素はほぼ無いんじゃないのかな。
そして、beentocanaan氏が指摘する作曲者に注目した「P」の消費のされ方は、「Pのキャラ」によって消費されるのではなく、「Pの作る楽曲」といった意識で消費されているのではないか。
つまり、それまで「初音ミクの図像によるキャラ」とそれを取り巻くものとして消費していたデータベース的消費、ポストモダン的消費が、ここでは「Pの作る楽曲」として消費されるようになる。言い換えると楽曲は作曲者の個性の発現であると見なす、近代ロマン主義的な要素がここに読み取れるのではないか。時代が逆流している。*21
例えばデッドボールPなんかはキャラ性強いけど。そのキャラはその良い意味でめちゃくちゃな楽曲によってなされたキャラ付けであるはず。
ポストモダンのキワミとさえ思えたニコニコ動画で、音楽においてはこのような逆流が起こるのは何故か。そこに初音ミクのこれからを語る面白さがある、と僕は思っている。
・15
東氏は「声」のキャラ化の例について「ツンデレの「釘宮」という声だけがあって、それを任意のキャラが発しているというイメージで消費されている」というけど、有名声優についてはニコニコ動画が現れる前から、昔っからそうやってキャラじゃなく声優に焦点を当てた消費はずっとあったんじゃないの?「釘宮」においてはツンデレというわかりやすさとニコニコ動画による規模の拡大が起こっただけで。以前とこの「釘宮」を分けるものは何?規模?だったらその分かれ目はどこ?ニコニコ動画の存在?それただのトートロジーじゃん。
言いたい気持ちも分かるけど、ほぼ「釘宮」だけにしか起こっていないことを一般化して言うのはいただけないなぁ。

その3

・17
音楽ということの難しさってのはそんな大それたもんじゃなくて、映画やエロゲーと音楽では表現の制限が違いすぎるだろうってこと。
例えば日活ポルノや18禁ゲームで「エロ」さえ入れときゃ売れて注目されるし、18禁という自由さのなかで規制の緩い好きに個性を発揮した表現が出来る!って時代があって、黒沢清元長柾木の才能が認められた。
けれども映画やゲーム内での「エロ」って全体で見てほとんど占めてないでしょ。日活ロマンポルノ見たこと無いんで濡れ場が全体にどれだけ占めるのか知らないんですが(半分ぐらい?)、エロゲーにおいてはいわゆる抜きゲーでない限りエロシーンなんて全体の分量の一割も無い場合がほとんどのはずです*22。そしてその残った部分で自由な表現活動を行った。その自由な部分に才能が育ち、発揮される余地があった。
けれども、音楽のアレンジにおいては最初から最後まで原曲のメロディーが流れ続ける。メロディー以外の部分は好きにできるとは言え、ある程度原曲の制約は受ける。しかも、日活ロマンポルノではありとあらゆる試みが試されたのに対し、音楽ではそれをしない、できない*23。しかも時間は一曲五分ぐらい。そんな短い時間では表現を詰め込もうにも詰め込めない。CD全体としては70分あるけれど、一曲ごとに切られたものであるし、先に挙げた制約を全曲が受ける。表現の自由の余地は限りなく少ない。*24
例えば日活ロマンポルノや美少女ゲームで表現に力を入れた作品によく言われる、「なぜここにエロシーンがあるのかわからない」といったことが言われるが、音楽でそれをすることの難しさを想像してもらえたら分かる。
極端な例を言えば「アレンジCDです!」なんて謳いながら、聞いてみたら70分全曲が延々全く関係ない自作曲で、所々原曲のフレーズが申し訳程度にちょろっと入る、それも必然性もなく。こんなCDを発表すれば叩かれることは目に見える。*25
テクノウチ氏は日活ロマンポルノの大監督の誕生のプロセスに「作品が評価されるべくポルノである必要があり、ポルノをポルノとして見に来たお客に映画として評価を受け、ポルノから数多くの大監督が生まれました。」*26としているが、アレンジ音楽においては先の音楽としての制約により「ポルノをポルノとして見に来たお客に映画として評価を受け」と同じ現象が起こりづらい。ポルノをポルノとしてみて満足して終了。というのがいまアレンジ音楽で起こっていることの大半じゃないのかな。
「アレンジ音楽を音楽として評価をする」この流れがある程度存在しない限り大音楽家は生まれにくいのだろう。特にポストモダン的消費がされている東方では難しいんじゃないのかな。
アレンジでは難しい。だからこそ、「音楽として評価をする」事態が起こってきているのが上で挙げた「P」の初音ミクを使ったオリジナル音楽なのかも知れない。つまり、東方ではなく初音ミクから未来の大音楽家は生まれてくるのかも知れない。*27
・18
エロゲーから誕生した才能ってのはまだ現在進行の話で、それが元長柾木田中ロミオで、後世にその才能を生んだのはエロゲーだと評価してもらいたいと東氏は願っている。もっと詳しく言えば、エロゲーによってその物語作成力*28を磨き、文学界の人達にその才能を評価してもらいたいってことなんだろう。実際元長柾木田中ロミオエロゲーから出てライトノベルの制作をはじめている。そしてライトノベルから文学界で評価された桜庭一樹のように彼らも評価され、そして歴史に名を残せって願っているのだろう。
日活ロマンポルノの監督達も、結局は日活から離れ普通の映画の分野で大監督として評価された。
つまり、そこから飛び立たなくてはならない。
では、同人音楽から飛び立つとは何か、それはメジャーへ行くということだろう。そして実際にメジャーへ行き多くの人達から評価された作曲家として、Sound Horizonのrevo氏とVAGRANCYの志方あきこ氏がいる。そして彼らが同人音楽時代に作っていたのはアレンジではなく、オリジナルであり、そのオリジナルが評価され、そして今メジャーで評価されている。*29
つまり、僕の考えとしては、今となってはアレンジの同人音楽では才能は発揮しづらく評価されにくい、しかし同じ同人音楽でもオリジナルであれば才能は自由に発揮でき評価もされる。
確かにかつてはオリジナルなんてほとんど聞いてもらえなかった。しかし、今は初音ミクがいる。初音ミクを使えばオリジナルでも聞いてもらえる、そして今「P」に注目が集まるなどして評価されつつある。
東方はとりあえず売れるだけで先がない、初音ミクは売れるけどその先がありそう。だからこそ今、ここまで初音ミクが熱いんだろう。というのが僕の考え。そして実際に初音ミクを使ってメジャーへと旅立つ気運が高まっている。
けれども先に言った通り、アレンジよりも制約は少ないが、「初音ミク」自身が限界を抱えているという制約があるので、やはりまだまだ難しいなというのが実際の所だろう。*30

その4

・29
このあたりは色々議論するべき点はあるんだけれど、とりあえず、メジャーには行きたくないけど同人音楽で食っていくということについて。
とりあえず言えることは、「東方だから、初音ミクだから売れる」なんてチンケなこと言ってるようでは同人音楽では絶対に食っていけない。同人音楽なんて「焼畑農業」じゃん。なんて意識を持たれてる時点で無理。それこそ「同人音楽だからこそ売れる」とまで市場を発達させないと。
同人音楽で食っていけるほど売れた人の代表がメジャーに行ったrevo氏と志方あきこ氏だけど、けれども彼らの成功は、売れ線の受けのいい音楽出して聞いてもらって小銭稼ぎなんてチンケなことやって手に入れたものじゃない。強烈な個性とオリジナリティ*31があって、さらに音楽表現技術を同人音楽で洗練させた。そしてその個性を残したまま、メジャーに行った。そこでさらにファンを莫大に獲得した*32。メジャーは好きなこと出来ないから同人だぜ、だけど売れ線第一だよねーなんて言ってるようでは一生食えないよ。東方だけに反応するやつらなんかほっとけ。エイベックスをバカにしつつ、自分も同じような消費しかできない、自分を相対化できない動物なんだから。僕も含めね。
とは言ったけど、同人で食っていくことの解決にはなんもなってないよね。だって、同人で食っていくなんて不可能だと思ってるもん。
同人音楽だからこそ売れる」とまで市場を発達させたとしても、そこに残る人って少ないんだよね。僕にとっての「同人音楽だからこそ」って上にも書いた通り好きなことやった結果生まれる個性的な奇抜な音楽だから。そんな奇抜な音楽を喜んで買う人なんてほとんどいないから、やっぱり食えない。同人音楽やるにはストイックでなきゃダメなんだなぁ。食っていくには適さない市場なんだなぁ。
なんて消費者でしかないから言えることですけどね。
・30
同人音楽に未来がない理由は、同人音楽作家は全体が見えていない人が多い。自己分析や業界分析が今まで同人音楽界から出ず、どちらかといえば同人音楽外のテクノウチ氏から2008年になってやっと登場する。そしてそこで見えたのは同人音楽の未来のなさ。そしてその対処に迫られる切迫感。もっとここは強調してしかるべきだと思う。
さておきテクノウチ氏がJ-COREに未来の可能性を見てて、そのJ-COREが海外の評価から誕生したという経緯を受けて思ったこと。
同人音楽に限らず同人が未来に生きる道として、海外に認められるというのがある。先日行われた比較日本文化研究会第13回研究大会「おたく文化―森川嘉一郎氏をむかえて」でも議題としてあがっていたけれど、欧米志向の強い日本においては海外の評価に自国での評価が追随することが多い。なので海外から「ドージン イズ ベリークール!ファンキー!マーベラス!」という声が一杯届けば同人を意識的に無視していた人達も同人を評価せざるをえない。*33
じゃあどうすれば海外に受けるのか。一つの解として海外で受けるには、「海外の考える日本らしさ」をとことんまで突き詰めればいい。具体的にどうとは言えないんだけど、その例を挙げれば芸術の村上隆、演劇の蜷川幸夫だろうか。彼らの作品は、日本人の感覚からしたら一種奇妙だ。けれども海外では「これこそが俺たちの求めていたジャポニズムだ!日本人がやってるし間違いない!」と喜ばれ非常に評価されている。
ちなみに逆の例として、日本人の考える海外のブロードウェーを実現したものである宝塚がある。外人がやった訳じゃなく日本人自ら真似たことに違いがあるし、今や独自の変化を遂げて日本独特の文化の一つとなってしまっているけど。

その5

・31
このニコニコ動画における東方楽曲の需要のされ方の変化に関しては『國文學 特集「萌え」の正体』第53巻16号(2008年11月号)に掲載されている井手口彰典氏の「音楽萌え−その諸相と東方・初音ミク−」に詳しい。CiNiiでの情報
・35
初音ミクブームには二つの消費のされ方があるのではないか。キャラ的な要素に注目する「お人形遊び」の延長としての消費。そして、音楽ソフトであることに注目する「声」を発するソフトとしての消費のされ方。お人形の側にMikuMikuDance、「声」の側にミクトロニカ、そしてその中間に「みっくみくにしてあげる」などの自己言及ソングがあるのではなかろうか。
お人形側へ行くほど保守的な消費になり、「声」の側に行くほど前衛的になる。
うーんちょっと微妙かな。


そんな感じでツッコミの補足は終了です。これで僕の言いたかったことは全て言い尽くしました。これ以上何も言えねぇってことはないけれども、まぁぐだぐだ言っても仕方ないので今後同人音楽について話すことは無いでしょう。
最初に申しました通り、ここに書いてあることは、ただのひねくれ消費者が自分の見えているものの中から確証バイアスによって判断したことを好き勝手書き出したものです。話半分にでも聞くぐらいが丁度いいでしょう。
それではここまでの長文、全て読んでくださる人がいるとしたら、本当にありがとうございます。お疲れ様でした。


最後に、少し。下書きの時に書いたのに、使わなかった文章があるのでここに載せときます。何度も言ってることの繰り返しですが。
ポピュラー音楽で起こってることと同人音楽で起こってることって似てるんじゃないかな。
ただ、片や危機が騒がれているのに対して、もう一方はブームが騒がれている点で対照的だけど。
けど、そのどちらにも僕は批判的で、客層の変化*34、消費活動の変化、そして言葉とそれを指すものの概念がしっかりと全体に把握されないままに議論されていることの弊害なだけじゃないのかなと。*35
そういったその業界全体の枠組みをしっかりと現状に即して語ることの出来る場を作ること。それがまず同人音楽には特に大事じゃないのかな。
それこそこの座談会がその問題点を示して見せたはず。
これから先同人音楽を語ろうという人は、そういったことを意識的にしていってくれたらいいなぁと。
けれども、そういうことを語れる人が今のところ全然いないというのが、この同人音楽を語ることの抱える最大の問題なんだろうなって思います。
頑張れ研究会!

*1:なので伊藤氏が注目するような動画表現の複雑さに関してはあんまり興味がありません。ソワカちゃんを知らなかったり、それに関してノーコメントだったりするのもそれ。しかるべき人に任せます。僕は昔のタイプの保守的なオタクなので

*2:とはいえこれはテクノウチ氏がかつて触れたことと近いもので、主観的なものであり無意味な、自分勝手な判断基準です

*3:昔のオタクが「これはいいぜ〜」と自分の好みを押しつける気持ちと似ているのかも知れません

*4:むしろ不可能だとさえ

*5:奇抜というとちょっとずれがあるかも知れないけれども、何となくニュアンスは伝わると思います

*6:初音ミクという技術、キャラに向けられる性欲意識の象徴でしかなかったものが、初音ミクの「歌う」行為にさえその優位性を示したとかなんとか、人力ボーカロイドプログレッシブな解答が云々

*7:同人音楽じゃなくてニコニコ動画じゃねーかとか、この作品だけで頂点となってしまってこの後が続かないという指摘もあるだろうども、とりあえずおいといて

*8:けれどもその奇抜さが薄れて「受ける」に重心が移動してるのが最近なんじゃないかなとか

*9:と言うより行かせようとしている。同人文化における嫌儲制度はこれを阻止するためのものだったんじゃないのかな、なんて思ってる

*10:今は結構融合しているけど、別の話になるけどそこにまた面白さがあるのも事実

*11:オタク文化を語ることは、ほとんどその人のオタク文化との関わりの個人史になってしまい、偏りが生じる。だからテクノウチ氏だけでなくもっと多くの人が同人音楽について語る、語れると思わせる必要があるだろう

*12:某研究会で伝えたかったのはこの部分、実際質疑応答でちょっと混乱したよね

*13:丁度「同人音楽にゅ〜す」さんの方で情報が公開されてた。12/15の記事ね

*14:楽譜を同人音楽に含めるかどうかには異論が残るようだが

*15:細かいことだけどWikipediaの『Jコア』ってのより『J-CORE』のアルファベット表記にしといたほうがいいんじゃない、元は海外発祥の語だし座談会でも終始アルファベット表記だし、何よりださい

*16:「同人誌」って言うと、エロでアニメやマンガの二次創作でしょって思われることの違和感と同じ

*17:というのもテクノウチ氏はオリジナルの同人音楽を即売会で頒布しているし、彼は元々クラブ文化の人間で、それがたまたま同人音楽オタク文化にもコミットしているのだから

*18:『思想地図Vol.1』の増田聡氏による「データベース、パクリ、初音ミク」(この論文についてはこここことかここを参照のほど)のパブリシティという表現を借りれば

*19:僕の立場からすればそんなウケる音楽に未来はそもそもない、消費されてポイ。パブリシティを利用するのがダメというわけではないですが

*20:それよりもGiGir氏のこちらの方が流れを整理してていい「未来私考−初音ミクという神話の終わり」。サイハテをそう読み取るのかー、なるほどー

*21:なんと無理矢理な…

*22:一枚絵で比率取るとエロはもっと増えるけど

*23:座談会で実験作品はウケないからされないとテクノウチ氏自身が言っている

*24:その制約をある程度抜ける方法はメドレーなどの長時間曲があるか、かといってそればかりでは疲れる

*25:個人的にはすごい面白いんだけどね

*26:「自分語り108 日活ロマンポルノと美少女ゲームと東方アレンジ」より

*27:といいつつ個人的には懐疑的

*28:陳腐な言葉になっちゃうけど

*29:まだまだその評価は局地的で、オタク文脈から抜け出てはいないけれど

*30:メジャーへ行こうとする人もこの限界に囚われたまんまな気がするし

*31:そして強運

*32:メジャーに行った彼らが好きなことをやっているかどうかは分からないけども

*33:ただそこで浮上するのは二次創作による著作権問題だろうけど

*34:客層の変化というのはかなり重要なポイントで、クラブに限らずこれからのオタク文化を語る上では絶対に意識しておかなくてはいけないポイントだと思う、ここを意識してなくてブログ界隈でなされるオタク議論は混乱してるんじゃないかな

*35:例えば普通に「音楽」と言った際には大きく「歌付き音楽」と「インスト音楽」の二つがあって、その違いを意識せずに全体的な議論をすれば混乱するのは目に見えるでしょう?いや、見えないか